ピアノの歴史

ピアノの成立と普及

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クリハロ

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この記事は、Amebaブログのリメイクです。

 世界には多様な楽器があるけれど、ピアノはかなり身近な楽器の一つだよね。

 あの白黒の鍵盤を見たこともないとか、どんな音が出るか聞いたこともないなんて人はまずいないはず。それは、押しただけで誰でも簡単に同じ音が出せることや、個性的すぎない音色がどんな音楽にも寄り添えるからではないかと、僕は思うね。

 そんな僕も大好きな楽器「ピアノ」の成立について、今回はちょっと真面目にお話しするね。

ピアノの成立

 大昔からあるハープのような弦楽器に対して、“鍵盤”を押しただけで、簡単に弦をはじくことができたらいいな。と思うのは、自然な発想だよね。

 ピアノよりも前にそのような構造は作られて、それはチェンバロ(英語ではハープシコード)と呼ばれていたよ。
 ただし、弦を「はじく」という撥弦楽器の構造上、音の強さが一定であったり、弦をはじく爪(プレクトラム)を元々の位置に戻さないともう一度音を出せないために、連打はできないことなど、改善したい点があったんだ。

ピアノの誕生

 そこで1700年ごろ、ヴェネツィア生まれでフィレンツェのメディチ家に仕えていた楽器製作者のバルトロメオ・クリストフォリは、弦をハンマーで叩いて音を鳴らす機構を備えた鍵盤付きの楽器、Gravicembalo col piano e forte(ピアノとフォルテを持つ大型のチェンバロ)つまり、ピアノを発明したんだよ。

​ピアノは「弱く」フォルテは「強く」って意味だよね。
でも、その楽器が単にピアノと呼ばれているのは、なんかおかしいね。

​確かに、自分の作った楽器が、単に「弱い」って呼ばれちゃクリストフォリも涙目だ。

 クリストフォリは生涯で20台のピアノを製作したと言われているけれど、現存するのは、たった3台しかないんだ。下の画像は1720年に作られたその中でも最も古いもので、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館にあるよ。

ピアノの認知

 1709年にシピオーネ・マッフェイ侯爵がクリストフォリの楽器を知って、2年後、その情報を『イタリア文学誌』に掲載すると、ピアノは瞬く間にヨーロッパ中に知られることになったんだ。

 特に、それの独訳を読んだゴットフリート・シルバーマンは、ドイツで初めてのピアノ制作者として知られていて、手始めに作られたピアノのうちの1台は、あのJ.S.バッハが試奏しているんだよ。

 バッハはシルバーマン製のピアノを絶賛したんだけど「高音部が弱く、弾きづらい」ということも付け加えたんだ。自分の楽器に少しでもケチをつけられると、シルバーマンはカンカンに怒ってしまったようで、そのあとは指摘された欠陥の改良に専念したみたいだよ。

​シルバーマンさん、ちょっとかわいいとこあるかも…

 ちなみに、初めにピアノのために書かれた曲としては、ロドヴィコ・ジュスティーニによる『チェンバロ・ディ・ピアノ・エ・フォルテすなわち、いわゆる小さなハンマー付きチェンバロのためのソナタ集』が知られているよ。ピアノにわざわざ注釈を付けるなんて、黎明期だと感じさせるね。

ピアノの普及

 ピアノも一気に広まったわけではなく、チェンバロや、音は小さいものの指の振動でヴィブラートが掛けられ、作曲や独奏用に人気があったクラヴィコードなど、18世紀では様々な鍵盤楽器が共存していたんだ。
 例えば、1788年にJ.S.バッハの次男であるC.P.E.バッハによって書かれた『チェンバロとピアノのための協奏曲』は、ピアノとチェンバロを対等に扱っている曲でなかなか面白いよ。

​現在のピアノでは、音圧の差がありすぎて難しい表現だね。

音域の拡大

 しかしピアノは、高音部や低音部の強化、音量や音域の拡大など、徐々に他の鍵盤楽器を突き放していくように進化していく。

 クリストフォリが初めて作ったピアノの音域は、49鍵の4オクターブだったんだけど、今主流なのは7オクターブと3音の88鍵だよね。これには、弦が鋼製になり頑丈になったことや、ハンマーが革製ではなくフェルト製になり、安定した大きな音を出せるようになったことなどが関わっているよ。

夢の連打機構

 ただ、音量や音域の拡大とは別に「連打」について改良できたことも、ピアノが現在のように普及できた大きな要因だと考えられる。
 ハンマーが元の位置に戻らないと、再打弦できないというのを改善しようと、1821年にセバスチャン・エラールによって「ダブルエスケープメント」という機構が発明されたんだ。

 絵で見てもわかりづらいかもしれないけれど、一回だけ曲がってハンマーを持ち上げるんじゃなくて、レペティションレバーと言われる鍵盤とハンマーの間の“もう一つの関節”があるおかげで、ハンマーが下まで完全に降りなくても、次の打鍵の準備ができるようになったんだ。

 19世紀に入ると、音楽はロマン派と言われる時代。そこで失神者も出るほど大衆的に人気だったフランツ・リストは、達人を意味するヴィルトゥオーソと呼ばれることがあったんだ。

 超絶技巧のピアノ曲をかっこよく弾くリサイタル(彼が初めて行ったと言われる)なんていう、宮廷音楽とはまた違う形での音楽の価値が生まれた時代だったからこそ、このダブルエスケープメントは重宝されたんだろうね。

 リストの『ラ・カンパネラ』はピアノの難関曲として知っている人も多いかもしれないけれど、これはもともとパガニーニによるバイオリンの超絶技巧曲で、昔は作曲者が楽譜を公開するような時代ではなかったから、リストは「ピアノでも聴衆を魅了したい」と、頑張って耳コピしたなんてエピソードが知られているよ。

ピアノは世界へ

 そして、ヨーロッパを飛び出して、アメリカにおいても、ピアノは進化を遂げる。

 1825年に、アルフィアス・バブコックは、木製ではなく単一鋳造で鉄製のフレームを作ることに成功する。これによって大幅に耐久性が改善されたんだ。

 また、現在でもメーカー名として有名なスタインウェイ一族は、それまでバラバラに発明されていたピアノの改良案を、様々な工房で働くことで集めてきて、ほとんど現在のピアノと変わらない形を得ることができた。
 スタインウェイの特徴的なピアノの構造として「交差弦」という低音部の長い弦を中音部の弦と重なるように張るという手法がある。これによって、低音部が中音部の弦と共鳴して豊かな音色になるんだ。

 その後も、もっと低音域を広げたり、縦に弦を張るキャビネット型にしてみたり、前後どちらにも鍵盤をつけたデュオピアノなんてものまで作られたり、ピアノはたくさんの進化や枝分かれをしたんだけど、19世紀後半からは「国際化」が重要視されて、楽器の形は画一化が押し進められたため、ほとんど現在の形だけになっていったんだよ。

現代のピアノ

 さらに、1905年には、ヴェルテ社が「自動ピアノ」を発明して、ピアノの演奏の際に穴を開けたロールペーパーに記録し、それをいつでも再生できるようになった。

​100年以上前にそんな技術があったんだね。

 精巧なメカニズムであるために、丁寧なメンテナンスが必要だったそうだけど、録音の方法がなかった当時に生きていた、ラフマニノフやドビュッシーなんかの“生”の演奏が聴けるというのは、素晴らしいよね。

 それから当時は、ピアノが嫁入り道具なんて言われていて、女性は客人の接待役になってピアノを演奏するという習慣があったから「女性解放」の時代の黎明としても、大変人気になったよ。

 ピアノってかなり複雑な機構の楽器だけれど、300年の歴史の中で様々な改良が行われて、その上で現在の音楽が成立しているんだと実感させられるね。
 僕としてはピアノ史を学ぶと、バッハやモーツァルトといった、ピアノで弾くこともよくある作曲家の曲が、こんな音だと思って作られていたのかっていう驚きもあったよ。みんなも是非クラシックなどの古い音楽を聴くときは「当時の楽器はどうだったのか」という視点も持ってみてね。


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