会話の前提
当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。
この記事は、Amebaブログのリメイクです。
会話って難しい…。
自閉症の人は、コミュニケーションにおける障害があると言われるよね。僕は一般に自閉症を語るのは医者でもないからしないようにしているし、もともとの性格もあまりよろしくないから、このブログを読んで「自閉症だとみんなこんな人間なのか」と短絡的には考えないで欲しいんだけど、自閉症スペクトラムの当事者として話してみたいこともあるから、今回は個人的にコミュニケーションの際に悩む事についての記事にしようと思うよ。
多かれ少なかれ、みんなも人とのコミュニケーションに悩んだことはあると思うんだけど、普通は“なんとなく”で切り抜けられるものなのかもしれないね。ただ、前提があまりにもない僕からすると、そんな芸当は到底できなくて、丁寧に原理を学んで、大人になってようやく、よく考えて話したり聞いたりしようと心がけられるようになった。
逆に言えば、小さい頃はひどくて…。
言葉には文字通りの意味だけではなく「含意」があるもんだよね。
人「今、何時かわかる?」
僕「うん、わかるよ。」
いや!何時か答えてよ!この後、謎の沈黙が生まれそうだね。
そうだよね。普通、現在時刻に対する知識の有無を尋ねるわけがないもんね。
こんな風に僕は相手の意図が汲み取れなかったり、逆にこちらの意図がちゃんと伝わらなかったり(曲解されてしまう)なんてことがよくあったんだ。うーん、それは今でもあるかな…
そこで僕は、人と上手くコミュニケーションが図れないのは自分自身の大きな課題だと捉えた。勉強することは先天的に好きだったもんで、コミュニケーションの勉強や練習をしようと思ったの。当時、療育なんかもあったけど、子ども扱いされるのが嫌だなんてイキり散らかしていた僕としては、本を読むタイプの勉強でメイクセンスする感じがあったよ。
協調の原理とは
ポール・グライスによれば、会話には「協調の原理」というものがあるらしい。
会話は、次の4つの原理に従っていることを前提とし、お互いに協調して行われるものである。
1.量の原理
必要な情報はすべて与える。必要以上の情報は与えない。
2.質の原理
虚偽と思っていることや、適切な根拠がないことは言わない。
3.関係性の原理
関係のあることを言う。
4.様式の原理
簡潔に順序立てて言う。不明瞭・曖昧には言わない。
こういう原理があるということを、みんなが無意識に理解しているから、滑らかに会話が行えるということだけど、当たり前すぎて少し分かりにくいから、具体的に違反している例を見てみよう。
「量の原理」の違反
〈少なすぎる例〉
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「食べ物。」
A「…う、うん。」
〈多すぎる例〉
A「お昼ご飯、何食べた?。」
B「水を7%少なめに炊いた魚沼産のコシヒカリを1%以内は誤差があるかもしれないけれど、230グラム使って、少し潰れてしまったんだけど、1辺5センチメートルの正三角形を底面とする高さ2センチメートルのおにぎりを作って6分間で食べたんだ。」
A「…う、うん。」
これは確かに会話がしづらいね。
多過ぎず少な過ぎず、必要な情報だけを伝えて欲しいかも。
「質の原理」の違反
〈嘘をつく例〉
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「確か、自転車のサドルだったかな。」
A「は?」
〈不明確な例〉
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「おにぎりみたいな、なんかそんなやつだったかな。」
A「…まぁ、お米を食べたのね。」
B「いや、麺類だったかも。なんとなくそう思っただけ。」
なんのために嘘ついたの!?
こんな適当に会話されてたら面倒になちゃう。
「関係性の原理」の違反
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「このペン書きづらいんだ。」
A「…え? あ、そうなの?」
B「あー、サッカーしたいな。」
え!無視されてる!?
同じ舞台に立たないと会話できないね。
「様式の原理」の違反
〈不明瞭な例〉
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「そうだな。どうしようかな。なんて言うか…。うーん、言っていいか分からないんだけど、まあ、あれは、おにぎりかな。」
A「なになに!?」
〈順序が間違っている例〉
A「お昼ご飯、何食べた?」
B「マクドナルドに行ったんだよね。あと、おにぎりも食べた。」
A「あー、ハンバーガーとかだけじゃ足りないときってあるよね。」
B「いやいや、家でおにぎりを食べてから、友だちに誘われてマクドナルドに行っただけ。」
これは誤解してしまうのも当然だよ。
分かりやすく話すって言うのも大事だね。
協調の原理の効用
こういう違反は、基本的にみんなしないだろうと無意識に感じているから、例えば、お昼ご飯を食べたか尋ねたのに「財布を忘れちゃったんだよね」と言われた場合、これは一見すると関係性の原理に違反しているようだけど、きっとご飯の話と財布の話が関係しているんだろうと察して「食べるためのお金を支払えなかったために食べていないんじゃないか」と考えることができるんだよ。
論理的には、そこに繋がりはないから「財布を忘れたのはわかったけど、ご飯は食べたの?」と再び訊いてもいいはずだけど、普通はそんなことせずとも伝わってしまう。
普通は…って、うん…。僕の場合は、そういうのが分からないことも多かったの。
自閉症くんの悩み
僕は人の話を聞く上で、そういう当たり前の推論さえできなくて困っていたことが多いし、話すときも小さい頃は問題が多かった。嘘をついたり、誤解されるような言い方をすることはあまりないから「質の原理」「様式の原理」にはそこまで違反していないと思うんだけど、「量の原理」や「関係性の原理」には、意図せずに違反してしまうことがあったんだ。
面白いと思ったことを今の話題と無関係なのに話したくなってしまったり、興味のあることだと、聞いてもないことまでベラベラと話したり、逆に興味がないと「へぇ」ってぼーっとしていたり…。
ただ、協調の原理を知って、関連することを話さなきゃいけないなとか、相手にとって必要な情報を考えなきゃいけないとか、相手がどう思うかを気にして話してみると少しは改善できたように感じるの。要は相手のことを気遣う「優しさ」を身につけるっていう、かなり当たり前なことだしね。
逆手に取った応用
でも、ただ協調の原理を守るだけでは、当たり障りのない面白くない会話になってしまう。無意識に“違反”するのは問題だけど、あえて“無視”するのは、レトリックや隠喩、皮肉みたいになって、面白い場合があるんだよ。
〈量の原理を無視〉
「一枚、また一枚と、修正しろって右肩上がりで筆圧の強いの神経質な文字の書かれた付箋が貼られていくと、その度に毛穴という毛穴がゾワっとするよな。」
〈質の原理を無視〉
「本当に最高な上司だよな。」
〈関係性の原理を無視〉
「あいつ、禿げてるもんな。」
〈様式の原理を無視〉
「なんて言うか、なんか…なんかだよな。」
ちょっとツッコミしたくなるような感じがして、楽しく和やかに話せそう。
僕はこういう皮肉みたいなものが何を指しているのか察するのが苦手だったし、自分で言うこともできなかったけれど、いわゆる「ウィットに富んでいる」って状態がかっこいいと思えて、少しずつ練習していったことがあったよ。(これはポライトネスの概念ではなかろうかと書きながら思ったけど…まあ、そっちはまた今度話すことにしよう。)
本能的にできる人はすごいと思うけど、僕はそれができない分、どの原理を無視してみようかというように、グライスの協調の原理を念頭に置いて話してみるというやり方で、コミュニケーション力が少し向上したというような実感があるよ。(まだまだダメだって言われたら泣いちゃう)だから、会話に悩んでいる人には、とりあえず勉強して相手を意識するように論理立てて考えようっておすすめしたいな。
それじゃあ、かなり話も面白くなったんだね。
ところで、この記事の面白いポイントはいつくるの?
…ごめんなさい。終わりです。







