ディズニー離れに悩んでみる

ディズニー離れを進めたい

 当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。

クリハロ

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この記事は、Amebaブログのリメイクです。

 みんなは、東京ディズニーリゾートって行きたい?

 僕は近くに住んでいることもあって、小さい頃はよく連れて行ってもらっていたんだ。だから、それなりに玄人みたいな遊び方もしてきたような人間なんだけど、年間パスポートが廃止になって、ここ数年は一切行かなくなってしまったんだよね。

​年間パズポートがなくなってしまうと、金銭的にさすがに何回もは行けなくなってしまうのはわかるけれど、一切行かなくなってしまうものなの!?

 ディズニーランドに行くこと自体が、少しずつ面倒になったのかもしれない。
 なぜか、そこまで残念にも思えなかったんだ。近いからと半ば義務のように定期的にディズニーへ通う側面があったんだけど、冷静に考えると、テーマパークなんて僕はそこまで好きではないのかもしれないと気が付いた。年間パスポートも持たなくなって、少しずつ通う頻度が下がることで、夢の国に掛けられていた催眠が解けていく感覚があったよ。

 さらに最近、若者のディズニー離れなんていう言葉を耳にしたんだ。

画像引用:オリエンタルランドの2024年ファクトブック

 とは言っても、経営面ではしっかりと莫大な黒字を出しているから、余計なお世話なのは知っているし、データも少し調べるだけでは「18歳から39歳まで」っていうかなり広い年齢層を「若者」としている曖昧なものしかないから、この現象自体が不明確なものだと思えるんだけど、今回は、僕も含めて若者が「ディズニーリゾートになぜ魅力を感じにくくなるか」ということを、特に証拠とかもなく、勝手な憶測だけで、悩んでみようと思う。

ゲストの選別

 僕が思うに、ディズニーリゾートは、誰でも楽しめる場所を目指しているのではなく、経営に不必要なゲストを少しずつ篩い落としているような印象があるんだよね。

 そもそも、ただの遊園地として考えてしまうと、ディズニー映画のキャラクターなどを知らないと楽しみにくいっていう余計なフィルターが掛かっている状態だよね。だから、ディズニーリゾートは「誰彼構わずそれなりの満足感を得られる」というタイプの施設なのではなく、「条件に当てはまった特定の人が、他では味わえないような特別な娯楽を享受する」という施設だと考えるのが妥当なんだろうね。問題なのは、この「条件」が、少しずつ厳しくなっていることだ。
 例えば、ディズニーランドの入園料って、一昔前は五千円くらいだったけれど、現在では一万円を超えているんだ。それに、ディズニーのご飯というのは、味にも目を瞑った上で、その先に「ディズニーにしかない世界観」みたいな価値を見出しているようで(個人の感想!)法外な値段ではないかと疑ってしまうんだよね。(個人の感想!!)外国の法律が適応されているんだろうね。(個人の感想!!!)

レトルトカレーみたいなクオリティのカレーが2000円くらいする…

 つまり、家族四人で普通に一日遊べば、5万円から10万円は使うことになるわけで、ここまで値を上げるとなれば、こちらも根を上げるしかない。「若者のディズニー離れ」ではなく「ディズニーの若者離れ」だと言う人がいるのも頷けるね。

​ディズニーランドのホテルなんかも、すごく高級だよね。
キャストのおもてなしやサービスの質はどこにも負けないくらい一流だし、富裕層を相手にするという方が似合っているのかもしれない。

 それから、年間パスポートがなくなったことで、パークを公園のように利用するゲストがいなくなったというのもある。僕は、年間パスポートを持って、非日常的な夢の国をぶらぶらと散歩したり、ただベンチに座って本を読んだりするためにディズニーを使うのが一番好きだったんだよね。だけど、前述の通り、入場には否応なしに一万円払わなくてはいけないんだから、そんな無駄遣いはできなくなってしまったよ。
 きっとディズニーリゾートのメインターゲットは「一生に一度の体験としてディズニーに訪れる」というような、感動レベルが非常に高い層なんじゃないかな。パーク内のマップやタイムスケジュールを完全に把握して、早くからパレードに最適な席取りをしたり、一眼レフ片手にキャラクターの出待ちをしたり、何度も訪れてお土産品を根こそぎ買ったりするようなディズニー玄人は、もはや迷惑なのかもしれない。(新発売の商品を、即座に買い占めて転売するなんて問題もあったしね)

 それに、一日に多くの人が入れば、もちろんアトラクションの待ち時間も増えて、その分だけ各人の満足度は下がる。パーク内には遠くからわざわざ千葉を訪れて、念願のディズニーランドで思いっきり遊ぶというような人だけがいた方が、感動をより強く届けられるのかもしれないね。
 カラオケやボウリング、他の遊園地のような娯楽施設と比べて価格が高いと言うのは尚早な話で、きっと比べるべき相手は「海外旅行」とかなんだよ。そういう気分でいるのゲストからしたら、一万円する“パスポート”も決して高くないよね。

娯楽の個人化

 ここまでは、「行きたいけれど行けない」という人が増えている理由を述べたけれど、次は「そもそも行きたくない」という人も増えているんじゃないかという説を唱えてみるね。

 一昔前は、「一世を風靡する」なんて形容される、アイドルや番組、レジャーなんかがあって、みんながこぞって流行しているものを観たり、やってみたりすることが当たり前だったと思うんだけど、現代の娯楽ってとても多様化していて、一人ひとりが自分の意思で選ぶという性格が強くなっているように思うんだよね。こうした娯楽の個人化が、特に若者において起きていて、ディズニーに魅力を感じなくなる一つの要因を作っているんじゃないかな。
 最近のディズニー映画は、誰でも観ている作品とは言い難くなってきているし、流行に関わらず、個々人が好きな映画を観るようになれば、シンデレラやピノキオのような常識的に思えるディズニー作品さえ、当然の共通認識ではなくなっていくよね。加えて、ディズニーのことをそうやって「好きな人が勝手に観ている作品」だと捉えてしまうと、ディズニーのブランド的な価値も下がっていくように思えるんだ。「その道のマニアが観ている作品」でしかなければ、「あの世界的なディズニー!みんなの夢が叶う場所!」というような広げすぎた大風呂敷は畳まざるを得ないよね。

​確かに、ディズニーランドが「誰もが行ってみたい場所」であるというのはブランドとしての価値に大きく関わっていたような気がする。
例えば、ジブリパークや、藤子・F・不二雄ミュージアムなんかも、素敵なテーマ性があるけれど、そういったマニアのための場所とは、一線を画す「夢の国」としての体裁を守れていたのは、作品に世代や地域を越えた絶対的な人気があるというのが、前提にあったからなのかもしれないね。

 ただ僕としては、社会に「娯楽の個人化」の傾向にあることって、素晴らしいと思っているんだ。誰もが同じものを好む状態になるのは明らかにおかしくて、なるとしたら「大衆として社会に飼い慣らされないとマイノリティのレッテルを貼られて抑圧を受ける」というような恐れを感じたり、情報が偏って伝達されてしまったりするせいだよね。ドリフターズのコントを見ていなかったら除け者にされていた昭和の教室のような状態では一人ひとりの幸せは守れない。

 それに、個別に好きなものを見つけられるよう、情報を得る機会が平等になっていくことで、娯楽の主体性も向上するように感じるんだ。面白いものをただ観るだとか、どこかにただ行ってみるだとか、そういう表面的な消費に止まる、受動的な娯楽だけでは、社会に新しいものは生まれてこないよね。「作る側」と「使う側」に綺麗に分かれてしまうと、専門性を持たない扇動しやすい低俗な大衆から金を巻き上げるだけの格差社会が築かれることになる。
 社会から「価値がある」と保証されなくても、自ら価値を決められるクワイエットラグジュアリー的思想を大切にしてほしい。自分の好きなものに思い切り神経や時間を注ぎ込んで新たな価値を創出できるような、能動的な娯楽のあり方こそが現代にマッチしていると感じるんだ。

 ディズニーのその先に、あなただけの夢の国を建てる準備を始めよう。


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