芸術を俯瞰で見る
当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。
この記事は、Amebaブログのリメイクです。
現代では一曲の長さがどんどん短くなっている。でも、僕は長い時間かけて鑑賞できる大作であればあるほど好きなんだよね。
フルアルバムという作品の体系では、一時間ほどかけてそのアーティストの世界観に浸ることができるけれど、最近は未発表曲を聴きやすい順番に並べただけのようなアルバムが多い印象があるね。コンセプトアルバムと呼ばれるアルバム全体で作品性があるアルバムの方が、僕としては鑑賞の余地があって充実感があると思うのだけど、そんなに長い時間をかけて、頭からお尻まで味わえる人は居なかろうということなんだろうね。
これは、消耗品として音楽が消費されている時代を象徴しているようで、幾許か物悲しさがある。
だからこそ、最近作られたコンセプトアルバムにはとても価値があるようにも思うんだ。具体的に言うのはちょっと憚られるけれど、Mr.Childrenの『miss you』や、King Gnuの『THE GREATEST UNKNOWN』などは、アルバムという体系全体で表現したいものがあって、僕としては大好き。
こういうことを考えていると、アーティストの方々って、アルバムを作ろうとするときに、どんなことを考えて曲順を決めているんだろうか…。という疑問が湧いてくる。
カンゼンカフカンゼンカ
例として、僕が『カンゼンカフカンゼンカ』というアルバムを作ったときに考えていたことを、まとめてみるね。
カンゼンカフカンゼンカは、タイトル自体が回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ)であるように「対称性」を基調としている。僕ら人間はそういった対称性があるような「完全な」存在なんだろうか…。ということを問いかける構成だよ。
- 人間-JINKAN
- regress or progress
- 白秋の朝焼け
- Black Velvet
- Petrichor
- 虹色ソーダ
- モラトリアム
- 開花自新
- No Skin
- Avantgarde
- 陽だまり
- Νύξ
- borrow or rob
- 乾坤-KENKON
という曲順だけど、一つ一つの曲が出来上がる前から、この並びは決まっていたんだ。
5のPetrichorはインスト曲だけど、1と14、2と12、3と11、4と10、6と9、7と8と真ん中から折り返したように「ペア」として、それぞれの曲が表現や音楽的な要素が地続きになっているんだ。
また、2〜12曲目までは、イメージカラーを、黒、紫、紺、青、水色、黄緑、黄色、橙、赤、ピンク、白とグラデーションとしていて、その「ペアの対称性」と「グラデーションの連続性」どちらもの“完全性”を13曲目のそれ自体が回文になっていてカラフルな『borrow or rob』が断ち切り“不完全”にしてしまうという作りなんだ。
そして、各曲の主人公は、老人、若者、子ども、女性、男性…と、様々な人間が登場している。最初の『人間-JINKAN』と同じメロディで作られている最終曲『乾坤-KENKON』において、2〜13曲目まですべての曲の旋律の一部が使われることで、個人が集まってできている僕らの社会を表現し、このアルバム最後にあるメッセージに到達しようという試みだったんだ。
自分で語ってみたのは初めてだから、ちょっと照れちゃうな…。
今も新アルバムの構想はあるけれど、このような作り方でやっていると、コンセプトアルバムにならないわけがないよね。アルバム全体の構成を考えておくと、
「6曲目と対称になる9曲目にオレンジがイメージカラーになる大人の女性を主人公にしたEDMが欲しい。これは、コード進行はこういうのを使って、曲の長さは4分10秒で、アウトロはなしにして…」
みたいな、かなり具体的な自分からの注文が出てくるから、新曲を書きやすくもなるし、そうやってアルバムの大枠から作って細かいところを徐々に作った方が当然、一貫性のある作品になる。
感想
きっと、多くのアーティストがそうしたいんじゃないかと思う。
しかし、こんな自己満足で作るわけにはいかないし、売れる曲を書かなきゃいけないとか、タイアップがついて世界観を指定されるとか、それらはアルバムに収録しなくてはいけないだとか…。様々な制約が付いているから、コンセプトアルバムにできなくなるってこともあるんだろうな。
それでも、アルバムの最初の曲や最後の曲は「そのアルバムの意義」みたいなものを歌ってくれる曲である場合が多いよね。大抵、僕はそういう曲がそのアルバムで一番好きな曲になるの。
やっぱり、一部分を切り出したときに、それが存在する意義が、高次のものにある場合、深みを感じるんだと思うんだよね。
つまり、例えば、「ここはなんでこんな歌詞になっているんだろう?」と考えたときに「歌ったときの気持ちよさのため」よりは「曲で表現したいもののため」の方がいいし、それよりも「次の曲への伏線」、「アルバム全体に対するメッセージ」、「前のアルバムを受けてのアンサー」、「そのアーティスト自身のコンセプト」みたく、より高次のものへの言及になっているときの方が、グッと胸に響くように僕は思うんだ。
人生100年時代、曲は短くなれど、僕らの人生はどんどん長くなっていく。だから紡ぐ芸術には、自分が生きてきた道のりをぶつけて、同じ一時間に思わせないような深みのある大作を作り出していきたいものだね。(まとめが老人みたいだな…)








