過集中の対処法

過集中と僕

 当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。

クリハロ

どうも クリハロ です。

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この記事は、Amebaブログのリメイクです。

 過集中って知ってる?

 一般語彙か怪しいけれど、文字通り「集中しすぎる状態」のことだよ。
 自閉症スペクトラム障害や注意欠陥・多動性障害との関連性もあるようで、僕は自閉症だから、そこに要因はあるだろうと思うけれど、その道の専門家ではないから、今回の記事はこれが正しい情報だとかは思わず、僕の一例だと思ってね。

僕の過集中

 たくさん集中できるのは、色んなことが早く終わって嬉しいと思うかもしれないんだけど、多分、みんなが思う“集中力”の遥か先をいく集中力だから、良いことだけじゃないんだよね。

  • 睡眠せずに作業をし続けて不規則な生活になる
  • 食事や排泄を疎かにしてしまう
  • 人に話しかけられても気づかない
  • 過集中の後、脱力して無気力状態になる
  • 複雑すぎて粗悪なものが出来上がる

疲れた挙句、よくないものが出来上がるなんて!

​そうなんだよ。過集中で作った曲は、大体テンポがとんでもなく速いんだ。

 もちろん、5時間くらい掛かるであろうことが3時間くらいで終わるとか、良いこともあるけれど、本当に疲れてしまう。瞬きとかもすごく減っていて、目がパリパリになっちゃうよ。
 例えるなら「やりたいこと」にをくべて体を動かすとして、適切に薪を入れていくべきところを、過集中では薪の保管庫ごと燃え尽きるまで、すべての神経がそのことに向いてしまう感じなんだよね。しかも、その保管庫は「好きなもののそば」にあって「大抵のものの遠く」にある。
 好きなことをしているときは、近くにありすぎるから、ちょっと燃やし始めただけですぐに延焼して保管庫ごと燃えてしまうし、好きでない大抵のことまでは異常に遠くて薪を持っていくのが大変なんだ。
 要は、別に持っている薪の量(集中力)が人より多いわけじゃなくて、置いている位置がおかしいって感じがするんだよね。しかも「延焼」に関しては事故でしかないし、興味のないことを後回しにしてしまったり、ひとつのことに依存しやすかったり、そんな副次的な悪い作用もあるんだよ。

 きっとだから、僕でいうと、興味のない食事や睡眠よりも、音楽作ったり、ブログを書き続けたりしちゃうんだろうね。

 それでも、ブログは書き終われば、とりあえず一回セクションが切り替わる感じがするけれど、セクションの切り替えがないものは、時間を全く感じられなくなって、小さい頃は、ルービックキューブを触っているだけで10時間飛んでしまった!みたいなことがよくあったもんだよ。

効果的な対処法

 さて、ここからは、どうすればこれを対処できるのかということを話すけれど、ルーティン化させたり、タイマーを使うことが良いとされているよ。

 僕も、過集中で体も辛くて、1時間でタイマーを鳴らして強制的に次の「やること」に移ったり、不必要なことをルーティン化して、考えなしに同じ時間で終わるようにするみたいな行動をすればいいやと考えていたこともあったんだけど、それを何日も続けているとね…

なんのために生きているんだ?

 って、ふと思ってしまうんだ。

 僕は、何かルールを決めると、とにかくルールを守ることが一番になってしまう。作曲しているときに、ピアノのいい旋律が思いついたところで、それを弾く前にタイマーが鳴れば記録せずに“おしまい”にしてしまう。リマインダーを使うことで、出来上がる物の量は確かに増えるんだけれど、本当にやりたいことや納得できる成果物が作られているのだろうかと考えると、明らかにクオリティが落ちている気がした。もっと言えば、これは「幸せ」なんだろうかと考えてしまって…。

 いきなりバカらしく思えたんだよね。

 精神科に行ってもね、僕は高機能自閉症らしく高い言語性IQと低い動作性IQの間に60くらいの差があったりするから、「頭の中だけで考えずメモをとって行うことを習慣化して対応することが望ましい」なんて言われたりするんだけどさ。「望ましい」ってなんやねん!って思わない?
 言葉にするのは難しいけれど「大衆に占拠されている社会に対して、僕の能力を効率的に献上することができる」ということを「望ましい」と言われた気がしたの。

出た!考えすぎで捻くれ者のクリハロくん!

 捻くれているのは、認める…。
 でも、目が痛くても、膀胱が破裂しそうでも、疲れ果てても、そんな気持ちにならないと感じられない感覚がきっとあると思う。しかもそれこそが、僕の人生を歩むことでしか得られなかったはずの個人的でユニークな経験なんだ。
 僕はとてつもなく効率的にタスク管理をすることも、凄まじくわかりやすいメモを取ることもできる自信があるけれど、そうすると僕の人間性は高性能なロボットに成り下がる気がした。僕らしい芸術的価値の創造のためにも、矛盾や無秩序のなかで、当たり前に転がっている幸や不幸さえも、無加工のままで受け取りたいんだよね。
 楽に生きるために、最適化された奴隷になりたいなら、現代科学の賜物である「お医者さんの言うこと」を素直に聞いている方がいいと思うけれど、僕はそんな権利は早く棄ててしまって、辛く険しい真なる自由を手にしたいと思ったんだ。

 思う存分過集中して、思う存分こだわって、誰にも伝わることのないメッセージをメモも取らず、タイマーも使わず、非効率に頭をパンクさせながら、ドヤ顔で作り上げてみる。そんな時間こそが、周りの環境がどう変わったとしても揺らぐことのない確実な幸せに思えたんだよね。
 読者の中には、発達障害の当事者や、育児等で“異質な”特性に悩んでいる人もいるかもしれないけれど、この世界のマジョリティに合わせるんじゃなくて、あなたでしか見られない世界や、あなたでしかできない表現も必ず存在するということを忘れず、その価値に誇りを持っていて欲しいよ。もちろん、便利のためにメモやタイマーを使うことは良いと思うけれど、それはただの手段でしかなく「望ましい状態」になるための矯正や治療ではないんだ。

 そう。過集中ないし、多くの悩みに対する一番の対処法は、自分への誇りだよ。


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