クリアファイルに悩んでみる

クリアファイル

 当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。

クリハロ

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この記事は、Amebaブログのリメイクです。

 僕は別に悩んではいないが、悩んでみることがある。

 適当に過ごしていると、時間はさらさらと流れていってしまうから、どうでもいいことにも疑問や不満を持ってみることが僕は好きなんだ。

 タイトルからみんな気付いているかもしれないけれど、今日は適当な雑記帳だよ。

きっかけ

 みんな、クリアファイルって買う?

 普段、教育関係のことをしているから、作っている教材とか資料とかを分類して大量に入れる冊子型の大きなファイルはよく使うんだけど、数枚しか入らないただのクリアファイルって、僕はあまり使わないんだよね。
 でも、そのデカファイルは内容がしっかり分類されているから、なんの関係もなく一時的にしか使わない数枚の紙を渡されたりすると、そこには入れたくなくて、ただのクリアファイルもカバンに一枚は入れておきたいなんて気持ちがあるんだよね。

 小さいときからそんな感じで、多くても一、二枚しか要らなかったから、クリアファイルがなくて困った経験もないし、ましてや自分で買った記憶なんてなくて、いつからか家にあった謎のファイルを適当に使い回しているんだ。

​どこでもらったかもよく覚えていないよね。

 そう、だからデザインに統一性がなくて、変なデザインのも多いの。
 持っているクリアファイルを見てみると…

  • 小学校の創立記念品
  • 市の環境問題の喚起
  • コナン映画のグッズ
  • 妖怪ウォッチのグッズ
  • 光回線の広告
  • ファンシーなリラックマ
  • すいえんさーのグッズ

 みたいな、統一性もない派手なデザインの付いているものが多いんだよね。
 しかし、考えすぎかもしれないけど、こういうのって真面目な書類を持っていくときには、なんとなく使いづらくない?

「マイナンバーカードの申請に来ました」
「こちらの書類をご提出ください」
真っ赤なジバニャンを取り出す!!

 って、なんか恥ずかしいでしょ。

 それに学校に行っていたとき、このジバニャンのクリアファイルを出したせいで「妖怪ウォッチ好きなの?」なんて話題を振ってくれた人がいて「いや、一度も見たことがない…。」なんて気まずくなったこともあるし、キャラ物は軽くトラウマだよ。

 だから「無地のクリアファイル」がものすごく貴重に感じるの。

 ファイルを買わない僕が、無地のクリアファイルを手に入れるのって、誰かが書類をファイルごと渡してきて、たまたま付属して来たのをもらうときくらいだからね。

​もう買えばいいんじゃない…?

 そうだなぁ。いつものように「あれもこれも変なデザインだ!」と無地のクリアファイルを探していたある日、この真っ赤なジバニャンはなんのために存在しているんだと悩ましく思ってしまった。
 “クリアファイル”って言いながら、色付きで中身も見えないから、何が入っているのかも分からないし、百歩譲って中身が見られたくないなんて実利があると考えたところで、妖怪ウォッチが好きなわけでもない僕としては、こんな幼稚なデザインを選ぶメリットが生まれるときは永遠にないんじゃないかと思える。

もうクリアファイルなんて無地で透明なの不透明なのだけでいいだろ!

 って、些か怒りが湧いてきて、果たしてなぜこんな無価値な存在がこの世に生まれて来たんだとプラスチックの塊を憐れむ気持ちさえ生じてしまったよ。
 だけど、こんなどうでもいいことに対して、あえて悩もうとするのも面白い気がして、まず自己批判をしてみようと思ったんだ。

いや待てよ…無価値ってなんだ?

 僕は何を以って、このジバニャンを無価値だと決めつけたのだろうか。
 つぶらな正円の瞳が悲しそうにこちらを見ていると、どこか申し訳ないような気がしてくる…。

 クリアファイルの用途を全うすることだけを考えれば、確かに無地なものだけでいいけれど、服だって防寒や肌の保護などの主用途のためだけではなく、ファッションという文化を牽引しているし、もっと言えば僕らは死ぬために生きているわけではない。芸術的な創作という本質から逸脱する生のあり方を愛している身でありながら、なぜクリアファイルがその舞台になることを許せないのだろうかと、更なる問いかけを僕は僕にされた。

悩んでみる

 それを考えると、僕の趣味嗜好のすがたがよく見えてきたんだ。

 こんな記事も書いた通り、服やら食事やらに僕はなんら興味がない。用途がある物は、まずはその用途を全うしないといけないよね。局部が露わになっている服や毒が入っている食事なんていうのが存在してはいけないように。芸術的な一面があるにしても、その枠組みは越えられない壁になる。

 そこから思うに、僕が求めている“芸術”とは真なる自由のことだった。

 音楽や絵画なんていうのは、僕たちが、呼吸をして、食事をして、ただ生きていくためには少しの効果も実用性もない。だからこそ、表現に自由が生まれると思うの。五線譜やカンヴァスの上では誰もが自由だし、このブログの内容だって、何者かに圧力を加えられることはない。たとえ、倫理や歴史的文脈に反しないごく普通の内容で、平熱の体たらくが続くとしても、外側に手を伸ばせるという自由への可能性こそが、その世界の意義を深めることになると思うんだ。
 だからこそ、僕が自己表現の舞台に選ぶものは、実用性を棄てる傲慢を許された虚構であって、それこそが他の人間でなく「このわたし」がわざわざ選ばれて、ここにいる意味に感じる。

 先天的な数学好きの病がゆえに、問題がスラスラと解けるだけで幼少の頃は楽しかったものだけれど、社会でも何かに使われているんだとか、受験や就職に強いんだとか、実用性を説かれた瞬間、水をさされたと言わんばかりに興味が失せそうになったのをよく覚えているよ。
 今でも、統計や微分方程式だとか、もっと言えば物理学のような現実をデッサンするための性格が強い理数系の分野より、何に使うのかなど矮小な人類からは一切知ることのできない純数学に関心があるんだよね。要するに、僕が好きなのは“なんでもあり”の「机上の空論」なのだと満を持して言うことができるし、そんな社会に価値を見出されない自分の発熱に対して、極端な誇りを持っている。

​労力やスキルの割に年収が低そうだよね。

​何も反論できない…。それはその通りだと思うよ。
ただ、僕は!そんな世俗的な価値観の檻の中で死んでいきたくないのだ!

 クリアファイルをクリアファイルたらしめる「紙を収納できる機能
 これがある以上、芸術的営みの奥行きや自由への可能性を感じられなくて、どんなにかわいらしく赤い猫がこちらを見ていたって、無地の情報量の少ないものに価値を見出してしまう。しかし、こんなことを考えて、記事を書き上げるだけの原動力をくれた、“アンクリアファイル”たちには、僕の世界にとって価値があったと言えるよ。

 そうだ、この“役割”を削ぎ落としてしまえばいいんだ。

 僕はクリアファイルの開く部分に両面テープを貼って、不快なプラスチックの塊を、より無意味で価値のあるプラスチックのゴミに変容させて、満足したのであった。

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やっぱり買おう…


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