HappyBirthday!!
当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。
この記事は、Amebaブログのリメイクです。
誕生日おめでとう!
今日は大切な人の誕生日なんだよね。なんとなく僕も愉快な気分になるよ。
誕生日ってさ、僕はお祝いされるとすごく嬉しいもんだから、誰かの誕生日を知ることができたら、いつもすぐにカレンダーにメモをして、友だちと言えないレベルの人にまで「おめでとう」ってメッセージを送ったりしてしまうんだよね。
ちなみに、クリハロくんは 8月30日 生まれだったよね。
うん、嵐の松本潤さんと同じだと言うと、なんとなく嫌がられるんだ。
でもさ、そこまで仲良くもない人から「誕生日おめでとう」と送られて来ても、なんて返信したらいいかちょっと困ってしまうときがある気がするの。
正直「ありがとう」くらいしか言うことがない…。
迎えた年齢での抱負を語るとかはさすがに面倒だし、「また遊ぼうね」みたいな社交辞令を言うのもやってられないよ。それに、孤独な誕生日を過ごしていればメッセージを交わす時間も嬉しいけれど、パーティをしている最中だったりしたら……少しだけ面倒かもしれない。
僕としては「覚えていてくれてありがとう!おかげで素敵な誕生日だよ。○○歳の僕もよろしくね。」くらいのあっさりした返信でいいと思っているけれど、せっかくあまり交流のない人にもお祝いしてもらったんだから、久しぶりに何か話そうかとか気を遣ってしまう人もいるだろうし、他にも大量のおめでとうが届いていたら、いちいち返信するのは大変だよね。
言葉だけじゃなく、プレゼントを渡したところで、金銭が発生するとお返しをしなくてはいけないように感じる人もいるだろうし、さほど仲良くもないのに、覚えておかなくてはいけないなんて、かなり労力を要するよね。
誕生日のメッセージって、適当に「おめでとう」と言うだけで済む“祝う側”とは非対称に“祝われる側”が大変なやりとりなのかもしれないと思わされるよ。
それでも、僕は誕生日をお祝いしたい。
産まれて来てくれたこと、死なずに生きてこられたこと、そんなあまり振り返ることはないような当たり前の幸せを、誰もが何をしなくとも持っていて、祝われるべきことなんだと改めて感動できる。そんな特別な誕生日に、たとえエゴイズムであろうとも、僕はありがとうを伝えたい。
そこで、誕生日のお祝いのメッセージの問題点を探ることにした。
誕生日に「誕生日おめでとう」と言われるのは、当然過ぎてなんの情報量もなく、その後の会話を相手に委ねていることが、本質的な問題だと思うんだよね。
せっかくの誕生日なんだから、そんなことを考えるコストを相手に使わせるのは可哀想だし、そのメッセージの送り主が僕であることに何のメリットもないから、大量に祝われた場合に、流れ作業の一つになってしまう。
それを踏まえて、僕がよく使っている誕生日のお祝いメッセージは「迎えた年齢の数字にまつわる数学的雑学を添える」というもの。
例:22歳の場合22歳のお誕生日おめでとう!
九九に登場しない最小の合成数22は、素数の和として3通りで表せる最小の自然数だよ。
(3+19, 5+17, 11+11)
特別な22歳の一年、そして素敵な誕生日を過ごしてね。
これなら他の人のメッセージと被ることはないだろうし「ありがとう」以外に何も言うことがなかったとしても「そうなんだー」とか「クリハロくんらしいね」とか、何か言葉を添えやすいんじゃないかと思うんだ。
僕は小さい時から数字が単独で立項されているWikipediaの記事を読むのが大好きだったから、もうかなり読み尽くしたもんで、二桁くらいなら面白い性質をすぐに言うことができるという謎の特技があるんだよね。それで、面白みのない「誕生日おめでとう」を打っている時に、ふと閃いたんだ。
うーん、それはクリハロくんらしいのは確かだけど、もらって嬉しいメッセージかと聞かれると、ちょっと疑問だな…。内容を理解するとか、それに返答をするみたいなコストも掛かるんじゃないかと思うけど。
それを言われると…もうどうしようもない。
でもね、こうして悩んでいるくらい、どんな人に対しても誕生日をお祝いしたいって気持ちがあるんだよ。別に返信なんて気にしなくていいというか、しなくてもいいから、自分がちゃんと生きていて、また一つ年を重ねられたということに誇りを持って、今日くらいはとにかく幸せな一日を送ってくれたらいいな。
……邪魔だったらごめんね。








