終わりと始まり
当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にすることで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。
この記事は、Amebaブログのリメイクです。
久しぶり!みんな元気にしてたかな?
前回の記事での宣言通り、11月は新規の記事を一本も出さなかったね。
#100 までの残りの記事はもう決めてあるから、11月に一つも出さなかったのは僕が怠惰だからってわけじゃないんだよ!今年で終了すると宣言した、Amebaブログ。一年半書いてきた舞台として思い入れもあるから、最後の今月の抱負だと思うと、ちょっと感慨深いな。最終月の今月も、丁寧に先月の振り返りと今月の抱負を書いていくよ!
先月の振り返り
Dec25Oct31
先月の抱負は「ホームページの運用を開始しよう」だった。先月はこのためにかなり頑張ったよ!奇しくも去年の11月も「休みます」とか言って、一本も記事を出さなかったんだけど、そのときとは全然違ってDec25Oct31の活動に時間をかけた月だったよ。CSSの知識が全然ないもんで難しかったし、どんな記事でも書いていけるブログの書き方のルールを整えることが何より大変だった。
例えば…
- 変更可能性と拡張可能性を保ったまま、記述が容易になる設計をする。
- デフォルトで表示されるものを独自のデザインに変更する。
- 何をどこに表示させるか、階層構造を意識した正しいデザインにする。
僕のブログ記事は最初にサムネイルのような画像が表示される。この記事であれば「ぼくのこと」の緑枠の画像の真ん中に「終わりと始まり」って書いてある画像のことね。これは、毎回Keynoteで作成して(文字部分を変えるだけだけど)貼り付けてきたんだ。でも、そうしていると画像そのものを変更したいと思ったときに、過去のものまでいちいち作り直さないといけないんだよ。だからデザインを変えた2025年4月より前の記事は、サムネイルが昔のデザインのまま…。
そのとき苦労したおかげもあって、やっぱりサイトデザインには変更可能性と拡張可能性を担保しておくことが大事だと判った。Amebaブログでは、記事の内部に追加CSSを書くことはできないから限界があったんだけど、オリジナルサイトであれば、そんなことはいくらでもできる。普通に中央のテキストを打ってから、そのブロックに「bokunokoto」(クラス名に日本語を使うことを嫌がる人もいるけど、僕はどうしても日本語がいい)と追加CSSを記述するだけで、サムネイルになるようにできたよ。
僕はデザインが気に食わないとそれが気になりすぎて、内容を書く気が一切湧かなくなってしまうんだけど、同時に「記述が容易であること」というのも僕にとってはとても大事。今日着ていくズボンを決めなくてはいけないな…と思ったら外出をやめてしまうくらいに、少しの億劫ですべてを投げ打ってしまう僕だから、呼吸するように直感的で簡単な操作だけで記事が書き上がらなくては、往々にして記事を書くこと自体をやめてしまうだろうと予想がつくんだよね。
そんな面倒なクライアントに設計案を認可してもらうのは、もちろん簡単ではなかったよ。もう少し愚痴を続けさせてね。最も悩まされたのはモラリのセリフ!
え?わたしのこと?
こうやってキャラクターに喋らせるデザインは、それなりに複雑だから実装も難しいんだよね。Amebaブログだと、下部の「HTML表示」というのを選択して、該当箇所へClipyに保存してある「モラリの吹き出しのHTML」をペーストし、セリフ内容を書くというやり方をしていたよ。でも、これではもちろん変更可能性は微塵もないし、モラリに喋らせる度に長いHTMLを貼り付けるっていうのは、あまりにも汚い。何より面倒すぎるから、気が乗らなくて記事にモラリを登場させないってことも、しばしばあったよ。
そこで、当然これもCSSで定義を書いて、各記事のブロック自体に追加CSSのクラス名を書くだけでセリフ形式になるようにしようと思ったんだ。でもこれは初心者の僕にはなかなか実装が難しかったな…。
例えば、「mascot left talk」みたいにいくつかのクラスに分けて書くなら簡単だったんだけどね。どうしても一つのクラスだけで達成したかったんだよ。この空白を何回か打つ手間によって、打ちひしがれてブログをやめてしまうだろうから。
あまりに脆い…。
あ、こんな頻度でわたしを出して大丈夫?無理しないでね!
丸二日くらいそのためにCSSと格闘してなんとかできたんだけど、やっぱり僕は頭がおかしい…と感じることにもなったね。Amebaブログを卒業するのは、そりゃ時間の問題だったなと思える。
まぁ、そんなこんなでサイトの設計をとりあえず納得できるくらいまでは進められた。先月と何が変わっているんだ?ってくらいしか見た目には差が出ていないかもしれないけれど、裏では要領の悪い僕が奮闘していたんだよ。
そして、Amebaブログに投稿されている記事も、少しずつ移行させ始めた。
このお引越し作業も面倒で仕方ない!普通に考えてこんな単純作業、時給がもらえないとやっていられない!ただコピペするだけだと、プラットフォームの違いによって記述がおかしい場合もあるから、少し書き換えないといけなかったしね。
…つまり、自分のブログを全文読まなくちゃいけないんだ。
これに気がついたときは、うぎゃーーー!って叫んだね。HTMLの書き方も全然違うから、テキストしかコピペできないし、そのテキストすら信用ならない!?
もうやめてしまおうか…。と本気で思ったよ。「これまでの記事はAmebaブログで見られるよ」ってリンクを貼って終わり。それでもいいじゃないか…。
でも、最初の記事をコピペして作り直したら、たった一つ喜びがあった。
URLがキレイ!
本当に喜びはこれだけ。
自分のサイトでは好きにURLを定められるから、今までのAmebaブログの無作為なURLと比べると、整然と意味のある文字列なったんだ。
https://dec25oct31.com/blog/ブログ番号
こんな風に、何も見ないで手打ちできるくらいに簡単なんだよ。これが嬉しくてたまらなかったから「自分のブログを全部読む」+「デザイン部分を書き換える」という苦行にも耐えられた。やっぱり僕は「整理される」っていうのが大好きなんだな。
まだまだ途方もない作業が必要だけれど、完成に向かってはいる。それに、並んでいる記事が徐々に増えていくと、満足感も生まれるもんだね。頑張るぞ〜!
あと、昔書いたことに対して、書き足したくなった記事もある。
Amebaブログのバージョンだと「好きなYouTuber-20選」だったんだけど、追加したいなと思える人がいたから加筆してみたよ。
樅木 霊
記事のお引越しで一年前の僕の文章を読んでいると「文章が下手だなぁ」と、とんでもない頻度で思ってしまった。乏しい語彙に回りくどい修飾、不必要な表現で崩れるリズム。今の感覚では目も当てられないよ。あまりに酷い場合は書き直しもしたけれど、成長の記録としては保存しておきたいなって気持ちもある…。(だからAmebaブログにはそのまま置いておくね)
別に今の文章もまだまだ下手だと感じているんだけど、今年3月に小説を書くようになってから、それまでよりは明らかに文章力が向上したと思うんだ。文学について学び出したのも大きいけれど、数万文字の書き物というのは、それだけで厳しい修行になるんだと思うよ。『剪断』を書いているときなんて、最初の方と最後の方で力量が異なって、レベルを揃えるための推敲が必要だったもん。
それにしても、文章という舞台は、僕の性分に合っているね。最近、改めて病院で受けた知能検査(WAIS-IVというIQの検査)によれば、「言語理解」の項目は158、「処理速度」の項目は78とのこと。(信頼区間の幅があるもんだけどね)この80くらいの凄まじい差は、ときに“自閉症らしさ”として、ブログのネタになるけれど、日々の生きづらさにもなる。頭で考えられても上手く出力できない。いつだってそんな調子だよ。記事のお引越しも、転記するだけなのに遅すぎてイライラする。
だけど、文芸という舞台は、どんなにゆっくり書いたって許されるんだ。大好きな言語の操作をこだわればこだわるほど善いって世界。なんとしても、僕はこの舞台を守り抜きたいと考えるようになったよ。
だから、昔の自分の文章を読むうちに、やっぱり日頃から本気で文章を書いていたいって気持ちも増幅してきて、今月も『流離う耽譚ショート』を更新できた。
まず、こちらの『リテイク』は、いつも主人公が自分に近い陰気な男ばかりになってしまうことを打破したくて書いた女子高生視点の作品。実は9月ごろに同じ挑戦をした作品があったんだけど、女子高生らしさが完全に失われて気持ち悪かったから没にしていたんだ。小説では主人公の身体に憑依したような文体で世界を立ち上げたいと思っていて、そうしたリアリティの中で見つける「名もなき哀れ」を作品性の核に置くから、没入感が薄いと急に陳腐になるんだよね。「本来の自分から遠い視点は下手なんだ…」と突き付けられて悔しかったな。
そこで、女子高生に人気のものを調べて体験してみたり、女子高生が出ている動画を見漁ったり、かなり気持ち悪いおじさんとして過ごしてみた。検索履歴を家族に見られたら、恥ずかしくて爆死するだろうってくらい、なんだか屈辱的な行動に思えたけれど、どうにか視点の固定化を乗り越えたかったんだ。実際の女子高生の生活を垣間見ると、少しずつ人格をインストールできたような気がして、再び書いた『リテイク』は、以前のバージョンより明らかによくなったと自分としては納得できた。作家としての幅が広がったと思えるのも嬉しいし、自分のなかで僅かに蠢く乙女心も、ようやく落ち着いた気がしたんだ。
けれど、僕らしさだとか、僕の唯一性はなんだろうと具に見つめると、視点を操るというただの技法は、僕の芸術性の一翼を担うものではないと悟った。掌編小説で実験的な挑戦を続けることは面白いけれど、そのお遊びも度が過ぎてしまえば、表現したいと思える芸術ではなくなる。直近の『おぶわれて夏』『リテイク』はそうした性格を帯びていた。
そんな諦めに似た自覚をすれば、真正面から芸術と対峙したくなる。じっと考えていると、ふと描きたいものが見つかったよ。「ポストモダン」だ。現代音楽や現代美術のような、芸術という概念そのものと向き合って制作された作品が好きな僕としては、文芸においても僕なりの超越や破壊を示したいと燃えてきたんだ。
掌編小説の十作目となる『幻視痛』は、みんながどう思うかは知らないけれど、僕としては最も自信のある一作になった。現状として、完璧な1600字だと感じる。表面的には、紙幅のほとんどが夢の話で埋まっていて、何の話をしているのか、文章がつながっているのか、よくわからないという印象を受けるかもしれない。でも、その曖昧さを一字残らず設計できた感覚があって、美しさに溺れたんだ。
たった六単語からなる世界一短い小説「For sale: baby shoes, never worn(売ります。赤ん坊の靴。未使用)」は極端な例だけれど、短編における感動は「書かれていること(二次元)」と「感じられる世界(三次元)」の差にあると思う。単なる物語のプロットだけでは感じられない「奥行き」を与えるものが作家の力量であり、それによって体積が生じる。また、密度を高めた体積の低面積は、小さければ小さいほど、圧力が大きい。そうして、熟れ過ぎた果実を親指で潰すように、液体が漏れ出していく。これこそ文章が導く絶頂なんだ。
僕の筆は耽美に突き進みたがっている。自分が目指すべき芸術は、きっと夢のような無意識下で輪郭を捉え、後から重さを持つものだと思う。『幻視痛』は僕にとっての美のあり方を洗練させると共に、高次元への可能性を示唆してくれた。美の向かう先を優しく示した『窓外の素描』と並んで、これからも大切にしたいな。
サイトの整備もできたし、お気に入りの掌編小説も書けたし、クリハロくんにとって、有意義な一ヶ月になったね。
今月の抱負
さて、今月の抱負を書いていこう。
最後だと意気込んで、本題に入るまでに5000字近く書いてしまったけれど「今月の抱負」の記事は、先月の振り返りの方がメインだから、許してほしい。
しかし、そう思うと、今回は何を目標に置いたところで、この場で振り返ることはもうないわけだ。だから、今月の抱負は振り返らなくても成立する、抽象的なものにしたい思う。一年半続けてきた営みに大切にお別れを告げたい。
「有終の美を飾ろう」
幼い頃から文章が得意だという自覚はあった。クラスメイトよりも多くの言葉を知っていたし、作文を書けば賞に選ばれ、知識を衒らかせばいい気になれた。だけど、誰に頼まれたでもない「ブログ記事」を書き出すと、当然、他者の評価を気にせずに、自分自身が本当に納得できる文章とは何かと、苦しむようになった。
Amebaブログに取り組んだことで、見ている世界を徹底的に言葉で解析し、言葉で解体し、言葉で組み立てる眼差しが生まれたんだ。内省は深まり、苦しみの中で美の本質を掴み取ろうとする。今後もライフワークとなるであろう文芸に惹かれたのも、間違いなくその習慣のおかげだね。すべては2024年6月1日の情熱に因る。
自閉症くんの世界をここまで読んできてくれた人は、気づいているかな。僕は何かを始めるのは難しいが、続けることは極めて簡単なんだ。そして、終わらせるのが、一番難しい。そのくせ、キーボード配列を作り替えたり、暦や言語を新たに作ったり、デファクトスタンダードを許したくないという気持ちもあるから、新たなものを自分の力で設計し、変化を与え続けてしまう。マゾヒスティックに、不愉快と向き合う痛みでこそ、美しく生きていると実感できるんだ。文章との関わり方として、ひたすら優越感に浸っていたときの方が幸福でいられたのかもしれない。けれど、悶え苦しめる今の方がずっと美しいと思う。僕はそれを求め続けるんだ。
人生は大きな物語だ。その上で、一つの章が終わる。最後の一文は、期待と解放を据えた美しいものにしたい。今までを肯定できるような、これからを紡ぎたくなるような、有終の美を飾りたい。
残り2本。お楽しみに。










