剪断(2)

樅木 霊『剪断』(2/7)



 子どもがどうやって生まれるのか。十歳を過ぎても考えたことはなかった。

 三歳の六月二十八日のこと、予定日よりも少し早く、弟が生まれた。名前は真宙まひろ。両親がいくつか挙げた候補から、訳もわからず一番大きな字で書かれていたものを僕が指差して決まった。ただし、僕は母さんの妊娠中、赤ちゃんが生まれてくることを喜んだことはない。どんなに両親に期待の感情へと誘導されても、頑なに「弟妹なんてほしくない。」と言い続けた。僕への愛情が半分、いや、半分以下になると予見したからだ。
 前日の夜は狂気じみて痛がっている母さんを見るのが辛かった。存在しないふりをしたくて、ダイニングテーブルの脚に隠れるものの、ソファで悶えている母さんから目を離すことはできない。「ガイシャシ」だとか言われて、半年前から掛け始めた眼鏡のせいで、世界はお説教をされているように窮屈に整理整頓され、額に浮かぶ脂汗まで見えた。いつも見える方の左目にシールを貼られたが、今日はそれもしていない。できるだけフレームの外を見るようにした。当たり前だと思っていた優しい視界。痛みにピントが合わなくなって仄かに心が落ち着いた。
 夜中の二時半を過ぎて、病院の硬い椅子で父さんの膝を枕にして寝ていたとき、生まれた赤ちゃんには脳に障害があると聞いた。何時間も待ったことによる強烈な眠気が襲うなかでも大切な話をしていることは窺えた。

 赤ちゃんが生まれてから何週間も、病院と家とを往復した。その回数は眼科に通っているときよりもずっと多かった。眼鏡を掛けるようになってから、母さんが何度も「あれは見える?」などと訊くのは、僕の目が悪いのを心配しているからだと知っている。だから僕は、力強い光をずけずけと浴びせられて胸焼けのする眼鏡でも嬉しそうに掛け続け、楽しげに「見える」と言うようにした。そうすれば、母さんは優しい笑顔を見せてくれる。でも、赤ちゃんが生まれてからというもの、そんなやりとりは一度もないのだ。両親が精一杯なのは、疲れ果てた顔を見れば痛いほど伝わるが、やっぱり赤ちゃんは要らなかったんじゃないかと自分の正しさに誇りを持った。
 父さんに抱かれて初めて見た弟は、物々しい多くの機械に繋がれていた。管の刺された青白く痩せ細った塊は、踠き苦しんでいるように見えるが、この部屋はそんな生気のない人形をわざわざショーケースに飾っているみたいでどこか気味が悪かった。僕が「生まれてくるな」とずっと願い続けたせいで、この小さな命はむごい仕打ちを受けているのではないかと一瞬だけ考え、「痛そう。」と他人事みたいに声を漏らす。

「病気があっても優しいお兄ちゃんがいるお家なら安心だろうって、真宙は我が家を選んで生まれてきてくれたんだね。」

 父さんは僕が怯えているのに気がついたのか、緩慢に背中を撫でながらなるべく優しい声を出す。僕はその言葉を鵜呑みにした。自分を正当化するように、赤ちゃんが勝手に家を選んでやって来たんだと信じることにした。


 東北の震災があってすぐのこと、真宙が就学するのをきっかけに特別支援学校が近くにある地区に引っ越した。重度の障害がある子どもを受け入れてくれる小学校はあまりないようだし、母さんの実家も近く、何かと都合がよいらしい。習い事もせず、親しい友だちもいなかった僕は、転校を厭うことはなかったが、新しい校舎を見れば、どうしても足は竦んだ。去年の遠足のときは、同じ班になった一年生の女の子よりも背が低かったし、すっかり0.01もなくなった視力を矯正するためには、目の大きさが半分くらいに見える度の強い眼鏡を掛けなくてはいけなかった。前の学校でもそれを何度もチープなお笑いの材料にされてきたのだ。性格を改めることはできても、それらは変えようがない。不安は募った。ただ、五年生の始業式というのはクラス替えも兼ねていて、転校生の存在感が最も薄い時期らしい。パーティ気分を白けさせない程度に紹介されて、騒いでいる声が止むのを待つだけで初日は終わった。

 しばらくして、各自で書いた自己紹介カードが廊下に掲示されたことで、朝のホームルームの前に廊下がごった返していた。群れたがる子どもたちに一瞥をやって、僕は教室で本を読む。すると、張り切ってクラスの司会者みたいな振る舞いをしている並木なみきくんの声がした。自分の名前というのは雑音にも掻き消されないで目立つものだ。その声だけが明確に届く。僕の誕生日が十月十日であることを取り上げているらしかった。その意味が僕には理解できなかったが、声の出し方からして揶揄いの類であることは確かだった。知らない言葉を次々と並べ、周りの男子はその言葉を楽しそうに真似する。近くにいた女子は恥ずかしそうにしながらも、上機嫌にそれを注意する。誰かが「ミレニアムハッピーバカ親」と言って、両親が馬鹿にされていると知った。我慢しておけと何度も衝動を鎮めようとしても、席を立つことは止められなかった。恐る恐る廊下に向かうと「おっ、ガリ勉転校生くん登場」と囃し立てられる。

「──うちは、その…インランってやつじゃない。」

 たどたどしく呟くと、さっきまでより大きな焼けつく笑い声がした。おもちゃを見つけた幼児のように、彼らは嬉々として僕にあれこれ質問をする。そして、行儀の悪そうな単語を知ったかぶりし続ける僕は余計に笑われた。乾いた唇をなんとか動かして、視線は極端に落とす。レンズの端の方では直線が歪んで色も滲んだ。並木くんの上靴が水で伸ばしたように見えるのは、涙のせいではないと言い聞かせたが、目尻から溢れ落ちた感覚ですべてを諦めてしまった。いきなり泣いてしまうような人間は、身分に違いがあるように扱われることとなる。引っ越しを決めるとき、僕には一切相談のなかった両親に対し、そのとき初めて腹が立った。


 彼らとは違う学校に行くために、僕は中学受験をしたかった。けれど、我が家には金銭的な余裕がないようだ。障害というのは際限なく金が掛かるらしい。真宙は食事も排泄も、呼吸さえ自発的にはできない。入退院を繰り返す真宙を中心とした生活を送るしかなかった。僕の服さえ親戚にもらうことが増えているし、誕生日もクリスマスも去年からプレゼントはなかった。出前だって取らない。夜な夜な金の話で揉めていることも知っている。当然、塾に行きたいとは言えなかった。
 それでも、母さんは何もしてあげられないことをこれで帳消しにして欲しいと願うように、毎月千円のお小遣いをくれた。今の時代、わずか千円で何ができるのかわからない。そこまで考えて渡しているようには思えなかったが、友だちのいない僕には十分足りた。その金で参考書を買って秘密裏に勉強をする。そして六年生の僕の誕生日、貯めておいた受験料の五千円を渡して「受験をしてみたい」と打ち明けたのだ。交通費もほとんど掛からない公立の中高一貫校を一校だけ。母さんはその金を受け取らず、真宙を祖母に預け、車で受験会場への送迎までしてくれた。でも本当は、「私立も受けてみたら」と言ってくれることを少しだけ期待していた。試験会場で見た育ちのよさそうな襟付きのシャツを着ている少年少女。塾にも行っていないパーカー姿の僕は、こんな県内トップレベルの学校に足を踏み入れてはいけないのだと痛感させられた。初めて受けた試験は、惜しくもなんともない場違いの点数で不合格だった。