あとがき
『剪断』を最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。
あとがきとして、執筆した感想を述べます。
「処女作には、その作家のすべてが詰まっている」という言葉を聞いたことはありますか。ほんの思いつきで小説を書きたくなったとき、その言葉を知って酷く重責を感じました。無類の創作好きであって、人に咎められない限り、役所でさえ肩書きを「表現者」と記すことにしているのですが、数万字の文章というのは多くを語り過ぎる気がするのです。普段からしている作曲などと違って、鮮明すぎる言語表現ですから、自信がないものであっても、名刺代わりになってしまうということには腰が引けました。「この曲のこのコードには何の意図が込められているか…」とは解釈し難いですが「この小説のこの言葉には…」となれば、多くの人が考えられるものです。けれども、そうやって言葉の力を信じているからこそ、表現者たる者、重責にも丁寧に向き合わねばならないのではないかと葛藤がありました。
実のところ、昔に小説を書いてみたことはあるのです。本当の初めては本作の主人公と同じ中学一年生の頃でした。当時はいじめられ続け、いつも独りで居て、妄想のなかに逃げるような感覚を拗らせた結果、物語が生まれていました。趣味を同じくして仲を深めた友だちに、いじめを苦に自殺するのを救ってもらうという中学生の友情を描いた中編作品でした。
昨月、それを久しぶりに読み返したのですが、当時の願いにも思えて感慨深くなりました。ただ、十二歳の筆力です。表現は極めてむず痒く、そのまま皆さんにお見せすれば顔から火が出るでものでした。ですが、同時に「処女作には、その作家のすべてが詰まっている」という言葉に異様なまでの説得力を覚えました。現在の原点となった痛々しく目を背けたくなるような純粋。中学時代のこの作品を甦らせたくなりました。希望というよりは使命に近い心情です。そうして、樅木霊が生まれました。
思えば、「いじめ」は人生において、重要なエネルギーだったのかもしれません。執筆に際して、己の根底にある純粋を徹底的に見つめました。負の感情に揺さぶられる経験は創作の源です。死の淵から這い上がり、狂気に満ちた亡霊が紡ぎ出す芸術を人々は栄養として、なんとか日々を生きられるのです。自信を持って言いましょう。これが樅木霊の処女作です。

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